Don't be material!

7 MEN 侍の矢花黎くんを愛でる日々の備忘録

作品と作者って切り離せない

 

好きな脚本家さんが、

「作品と作者の思想が完全に切り離せるというのは思い込みじゃないか?AIが作ってるわけじゃあるまいし」

と言っているのを目にした。

 

自分もそう思う。

 

好きな音楽、本、ドラマ、映画などの作品に出会った時、「これはどんな考え方でどんなふうに生きてきた人が作ったのだろう」と思いその作者のことをもっと知りたいと感じる。

 

 

仕事がプライベートに、プライベートが仕事に影響を与えるように、1人の人間から生み出される言葉や作品は、それが仕事であろうとプライベートであろうとその人の人となりは完全に隠すことができない。意識的に使い分けようとしようとしても、完全には使い分けられないからこそ、にじみ出てしまうその人の人となりに惹かれてしまう。

 

世間ではファスト映画が流行ったりして、いかにわかりやすく、周りと齟齬なく、「正解」とされるものに早く辿り着けるかが重要視されがちだけど、その感覚が全くわからない。

 

たった数秒のシーンが、たったワンフレーズの音楽が、何気ない一言が、それに偶然触れた誰かの人生を大きく変えることだってあるし、ドラマチックに変えなくたってその日一日を幸せに過ごすには十分な位の力を与えてくれることがある。

 

そういうものに出会えた時、この瞬間のことを思い出してこの先生きていけると思えた時、それを好きと感じる自分の感性も好きになれる。そして人生の豊かさを感じる。

 

自分の生活に起きる出来事や感じることを完全に切り離すなんてほぼ無理で、だからこそ自分が思ってもみないような化学反応が起きたり素敵な奇跡が起きたりする。過去の出来事が伏線回収するかのように今に繋がったりする。

 

自分の身を持って強くそういうことを感じるからこそ、好きだなぁと思ったものに出会えた時、それを生み出した人がどんなことを感じて生きてきてどんな経験からその作品が生まれることになったのかすごく知りたいと思ってしまう。

 

不要不急、不要不急じゃないと簡単に物事が選別されてしまうこのご時世にすごくモヤモヤするからこそ、自分次第で守れる大事にしている事は自分にとって必要かつ緊急かどうか考えられる人間でありたい。そして自分以外の誰かのそういうものも当たり前に尊重できる人間でありたい。

 

都内に4度目の緊急事態宣言が出された今日、いつもと変わらずそんなことを思いながら、初めて音声入力でブログを書いてみた。お風呂の中でも右腕を酷使せずに気軽にダラダラこういう文章が音声で入力できて便利だな。

 

山田くん山田くんやいややっぱなやーなやーなやーなやーなやーな

 

↑矢花くんだけ全然聞きとってくれんじゃん!!!!Oh, my 滑舌, my iPhone.(この一文から手で打ってる)

 

街中で音声入力をしている人を見てかっこいいなと思いつつも後回しにしてたやってみたかったこと、自担がやったらこんなに単純にやってみようと思える。誰かの何気ない何かが、そうやってこの世界の誰かの小さな夢を叶えたりするのってやっぱ素敵だなー!

 

色々モヤる世の中だからこそ、少しでも明るくなれるものを見つけて、それをこの世に生み出してくれた誰かの人生に想いを馳せようっと!

 

 

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