Don't be material!

7 MEN 侍の矢花黎くんを愛でる日々の備忘録

【ブライトン・ビーチ回顧録 9/25昼】主義は贅沢品になりえるけど尊厳は失いたくない?

 

矢花担をざわつかせる事件があった翌日。情緒不安定だったけどせっかく行けるので、と気持ち切り替えて行ってきた!(超泣いたから朝目がやばかった...)

 

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こないだは2階席で、今回は1階席。見え方結構違ったなー。

 

一度目の観劇では「原作に結構忠実に作ってるな」「ちょり演じる思春期真っ盛りのユジーン可愛いよおおおおお」って気持ちでいっぱいだったので、流れが分かっている今日は自分なりに細かいセリフや演出について何か考えられたらいいなと思って挑んだ。

 

(前回の感想はコチラ)

meromero887days.hatenablog.com

 

今回見てて思ったのは、この舞台において「主義」と「尊厳」はどういう意図で使ってるんだろう?、ということ。

 

「主義」に関しては、ユジーンの兄スタンリーが仕事のボスに逆らい、ボスから反省文を書いて来いと言われ、自分は間違ったことはしていない・昔父から言われた通り自分の主義を大事にしただけのため、反省文なんて書きたくないということを父ジャックに相談した際の、ジャックからの返答で出てくる。

 

ジャック『この家では今、主義は贅沢品だ』

 

「尊厳」に関しては、ユジーンの叔母ブランチが、隣人のお婆さんに触発されて自身の今後について覚悟を決める際に出てくる。

 

ブランチ『私みたいなのは、最後に残るのは人間としての尊厳だけ。お隣のお婆さんのように、尊厳だけは失いたくないわ』

 

※どちらもニュアンスで覚えているだけなので、このままのセリフではなかったと思う。

 

そもそも「主義」と「尊厳」の定義って何だろうと思って簡単にググって見たら、↓の通り出てきた。

 

「主義」人、団体や政府が主張や行動の指針にする原則や思想。

「尊厳」気高く犯しがたいこと、人がひとりの人間として、普通に与えられるべきこと

 

パンフレットで演出家の小山さんはジェローム家とモートン家のことは「最終的に、経済で家族を救うことよりも、共に生活していくことを皆選ぶ。」と書いていて、前回観劇した後にパンフレットでこの言葉を読んで、ずっと心に残っている。

 

この舞台では、登場人物たちはみな自分の主義に従って行動しているけれど、家族でも分かり合えないことがあったり、経済的な事情でやむを得ずそうせざるをえなくて、自分の主義を曲げることでお互い譲り合うシーンが多く出てくる。

もっとお金があれば、それが叶わないのであれば(冷たい言い方をするけれど)ほぼ居候同然のモートン家を追い出せば、自分の主義を曲げなくても良かったシーンがいくつ子もあったと思う。

 

でも、バラバラの主義を持っているように見える登場人物たちみんなに共通する主義があるよなと今日感じて、それって、↑の演出家の小山さんの言葉にもあるように、「家族が共に生活をしていくこと」なのかなと思った。

 

自身の主義を曲げてでも、そのたった一つみんなに共通している主義を守るために、みんな行動していてそこにみんなの家族愛を感じたな。

 

戦争と戦争の間の時代の話で、戦争で兄弟や大切なものを奪われた経験のある大人たちはもちろん、無邪気に見えるユジーンも戦争で兵隊として駆り出されるかもしれないことを当たり前のように認識している。

ひとたび戦争が起きれば、大きな力(国・政府)にいつ自分達が必死で守ってきた幸せ(共に生活をすること)を奪われてもおかしくないという時代を生きてる人達だからこそ、自分自身の主義を曲げてでも「みんなで共に生活をする」ということをこんなに大切にしてるんだろうなと思った。

 

そう思うと、ほんとだったらただただ無邪気に過ごすだけでいいはずの青春時代に、いつもうっすら戦争の気配があるユジーンを見る目も変わったなー。

 

そんな中出てくる、ブランチ叔母さんの『尊厳だけは失いたくないわ』発言。

 

観劇中ずっと「主義と尊厳、この舞台ではどうやって使い分けてるんだ...」って考えてて帰り道でも考えてた。自分としては、どちらも同じような意味で使っているから。

 

尊厳は”気高く犯しがたいこと、人がひとりの人間として、普通に与えられるべきこと”であると考えると、もしかしたら↑で自分が”みんなに共通している主義”として分析していた「みんなで共に生活をする」って尊厳に分類されるのか...、いやでもブランチ叔母さんのセリフが出てきたシーンはむしろみんなで共に生活するのをやめて独立しようとしてるシーンだし....と、色々考えていたら分からなくなってきた。

 

なぜみんなで共に生活するのかというと、それがみんなの幸せだからであって、みんなで共に生活することで幸せじゃない人(妹ブランチのために自己犠牲をしてきた姉ケイト、そんな姉ケイトのために自分の信じる幸せ=お隣さんとの関係を諦めざるを得ない妹ブランチ)が出てしまったら、本末転倒なんだよね。

 

どんな状況でも、幸せになることを願う権利は全人間にある。それが”尊厳”なんじゃないかな。「共に生活すること」でそれを踏みにじられたり、誰かのそれを踏みにじってしまうくらいなら、共に生活している意味がない。だから、ブランチ叔母さんも出ていこうとしたし、そういう事態の根源となってしまった兄スタンリーも出ていこうとしたのではないんかな、と。

 

結局、色々あったけど、みんな思いとどまって、やっぱり自分も自分の大切な人達も幸せでいるための一番の方法は「共に生活すること」だったから、また最後みんなで集まってこれからも共に生活することを選んだのかなー。

 

.............とまあ、色々殴り書きして少し頭すっきりした。

 

来週は、ブライトンにドリボに忙しい週だけど、ちゃんと集中して観劇できるように心も体もコンディション整えよっと。

(矢花くん、超心配したよ....)

 

 

 

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