Don't be material!

7 MEN 侍の矢花黎くんを愛でる日々の備忘録

「アトリエの前で」を読んで考えたことの殴り書き

話題のほっくんの連載記事を読んだ。ストデビューまで情報局名義はほっくん名義にしてたくらいほっくんが好き、見た目はもちろん、考え方や生き方も。あと歌声もダンスも。(無限に出てくる)

 

今回初めてこの「アトリエの前で」を読んで、ほっくんらしい文章で魅せ方うまいなと感心した。もし自分が地元に残ったままでほっくんと同年代 or 年下だったら、この文章心にずーっと居座るだろうな。年齢も年齢だし、上京して数年経つし、ここまでジャニオタ長くやってるとジャニオタ界隈の汚い事情(チケ高額転売、ヤラカシ、匂わせ等)にも驚かなくなってくるから、今回のこの記事読んでショックだったり驚いたりというよりは、「怒りにも悲しみにも振り切っていないようなこの淡々とした表現、分かりやすく情に訴えかけられるより心に来るものがあるな」と感心(?)してしまった。

 

 

皮肉なことに、この記事にもろ該当するであろうそういう問題行為をしてる人達からしたら「認知された♡」「こうやって接触できるんだ」という方向にまた加速してしまうのでは?と思わないこともないけど、タレント側にここまで言わしめてそれでも変わらないような人達だからそもそもそういうことするわけで。そう考えると「〇〇(グループ名)のファンは民度低い」と世間に言われてしまうのって、本当にタレント可哀想だな。もうどうしようもないもんね。

 

そもそもそういう問題行動する人達のモチベーションって何なのだろう。何故アイドルが好きなんだろう。好きって何なんだろう。とか色々考えてしまったなー。きちんと考えを整理して記事にしようと意気込むと一生更新しない気がするので殴り書きレベルの記事を書こうと思ってパソコン立ち上げて打ち込んでるのが、今。

 

 

自分にとってアイドルとは

これは常に考えていることで、雑だけど一回記事にしたくらい☟

 

meromero887days.hatenablog.com

 

 

上の記事でも書いたけれど「誰かの人生を豊かにする表現や言動をする人」はみんなアイドルだと思ってる。だから、熱狂的に好きじゃなくても部分的に”〇〇してる時の△△さんは好き”って思うレベルもあれば、矢花くんのように何から何まで彼の言動が自分の感覚ではツボで四六時中好きなレベルもある。

 

自分がアイドルに求めること

矢花くんがあまりにも好きすぎてしんどくなる時もあるけど、そのしんどい感情まで含めて「自分の人生豊かにしてもらってんな~」と思える人しか好きになれないし、そしてそんな風に自分の人生を豊かにしてくれる人に対して求めることって「これからも自分が認識できる場所で、できるだけ長く幸せに活動してほしい」しか、ない。しか、と言ってるけどこれってとてもレベルが高いことで、いろんな事情でもう今何をしているか全く分からないかつて好きだったバンドマン/アイドルもいるし、活動はしてくれてるけど明らかに本人幸せじゃなさそう…っていう場合もあるし。このレベルの高い唯一の願いを叶え続けてくれてることだけが、有難くて尊い事実だと思うから、それ以上のことはもう好きでいることのボーナスでしかないんだよな。(〇〇歌ってほしい、△△の役やってほしい!というような願いはオタクならもちろんあるけど、それもあくまで本人が幸せに活動してることが前提)

 

自担が好きなのではなくて自分”だけ”が好きなのでは?

矢花くんのことが好きだなって毎日思ってるし、そしてそんな矢花くんの活動に刺激されて自分の仕事が捗ったりプライベートでも挑戦してみたかったことに積極的に取り組んだりして自分の人生が豊かになっているのを実感すると矢花くんを好きになった自分のこと”も“好きになる。でももし自分が判断を誤って、矢花くんの不幸に繋がる行動をしてしまったら、絶対に自分のこと超嫌いになる。何故(一方的に)いただいた恩を仇で返してしまったんだ…ってずーーっと落ち込むだろうな。

 

だから、問題行動をする人たちが持つ、本人の不幸に繋がること(ヤラカシ、ストーカー、個人情報流出、コンサートで本人の目に向かって水鉄砲撃って認知されたって喜んだり…)をしたいという気持ち、全く理解できない。タレントを自分の承認欲求を満たすコンテンツとしてしか見てないからそういうことできるんだろうな。せっかく好きなタレントが活動してくれてる貴重な時間を承認欲求満たすために無駄にしてるなって思う。いつ自担が自分が認識できる場所での活動を辞めてしまうか分からないのに。

 

自担に対して人としてのリスペクトがあれば、「前に〇〇って言ってたからこのアイランドTV上げたんだろうな」「数年前の雑誌Aでも言ってたけど今月出た雑誌Bでも同じこと言ってるから本当にこういう考えの持ち主なんだろうな」「こうは言ってるけど本当は悔しかっただろうな」という風に相手の立場になって考えることが自然にできるだろうし、そうやって一人の人間として認識できればそんな問題行動しようとも思わないはずなのに。結局人としてではなく、オタクの世界の中で認知されたことを匂わせたりして「その辺のオタクとは違う自分」に酔うための、インスタントな欲求満たすための道具としか自担を見てないんだろうなと思ってしまう。だから、自担が好き(と思い込んでるだけでその実は自分の承認欲求を満たせるなら誰でも良かったりする)でその辺のオタクとは一味違う自分“だけ”が好きなんだろうなって思う。

 

自担と自分だけの世界で自担の生き様を味わいつくしたい

何かや誰かが好きという感情ほど、生きていく上での打算的な考えが介入しない感情ないと思う。そして自分はその好きという感情を一番大事にしたいし、そこに他者を介入させたくない、絶対。だって人生においてその他の感情や行動って、自分が生きていく上で打算的にならなければいけないものばかりだから。

 

だから、オタク同士のマウントの取り合いも、自分は自担のATMとか自担に貢ぐという表現も好きじゃない。自分が時間やお金を使いたいって思ったら使いたいし、その動機には周りのオタクの言動のみならず、自担の言動すら影響させたくない。(本人にお願いされたから再生回数回す、買う、ではなく、あくまで自分がそうしたいと思ったらしたいの意)

 

オタ活だけではなく、自分の人生の最大の目的が「好きという感情を味わい尽くしたい」だから、オタク内のカースト気にしたりしてる暇ないし、ましてはその目的を阻害するような行動(好きな人が幸せに活動するのを見ていたいのに不幸になるような行動を積極的にしにいくこと)をするなんて、ないわーーーー。

 

向こうからは個体認識されていない(大勢のファンの一人でしかないしことこちらが生きてようが死のうが自担には知られない)のに、

 

再生回数や売り上げの一部にはなりえど、基本的には自分がすることが向こうの人生に一切の影響を与えないのに、

 

こちらは人生の中の少しの時間とお金を使うだけでこんなにも人生を豊かにしてもらえるのに、

 

アイドルはそこに存在して幸せに生きてくれているだけでこちらが一方的に幸せを感じることができて、アイドルってすごいと年取るほど思う。

 

他の人間関係には全て(時には家族にだって)多かれ少なかれ損得勘定が絡んできて、自分の言動が相手の人生に直接的に影響を与えてしまうのに。すごいよ、アイドル。

 

自担が自ら望んで、幸せな状態で活動してくれている間は、自担のその生きざまを味わい尽くしたい。そのためには周りのオタクと自分を比べて優越感(もしくは劣等感)を感じてる暇なんて1秒たりともない。いつだって自担と自分だけの世界にいたいし、その世界を得ることできたら、たとえ自担が自分が認識できる世界からいなくなってしまった後でも、その世界はその後の人生で疲れた時の休息場所や何かに迷ったときの考える部屋になってくれたりする。

 

今回の記事は、そんなことを悶々と一晩中考えさせてくれた、ほっくんのとても素晴らしい作品だった。

 

今いる数少ない、考え方が似てるオタ友大事にしよー!

 

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