Don't be material!

7 MEN 侍の矢花黎くんを愛でる日々の備忘録

【矢花くんの侍ふvol.011を読んで】余白を愛すること

 

「As you like, 自分で考えて自分の好きなように愛してくれ。」

 

世界一好きで10年越で追いかけているバンド、UNISON SQUARE GARDENのスタンスってこういう感じで、歌詞の端々にはもちろん、メンバーのブログ、ライブの開催の仕方、その他活動にもその基本スタンスが表れているなと思う。それを実感する度に好きな気持ちが強固になるし、「人生に絶対なんてないけど一番絶対に近いことは死ぬまでUNISON SQUARE GARDENを好きでいることだろう」って思う。10年以上好きで、その間好きな気持ちに波がなく一定して同じ熱量で好きなのってUNISONだけなんだよな。それくらい肌に合うというか、何か気持ちがブレそうになったりとか自分の選択に迷いが生じそうになった時にUNISONの音楽に触れると気持ちがシャキっとする。

 

......と、まあそんな大きな存在であるUNISONのことを矢花くんも好きって知って、もうすぐ1ヵ月経つのか。未だにこのことに関しては夢見心地だし、現実と思えないくらい個人的超事件。

 

meromero887days.hatenablog.com

 

 

そんなUNISONの曲の中に「フィクションフリーククライシス」という曲があって、UNISONを知らない人が歌詞だけ見ると珍紛漢紛な歌詞に感じると思うんだけれど、UNISONを好きな人(の中でも少なくとも自分が)見ると「超ぽいな、ラブ」って思う曲。

 

”結局世界は僕が救うしかない”っていうサビを聞くといつも、

「自分の世界は自分で作っていく、守っていくしかない。自分次第だ。」

って思うんだよね。UNISONはどの曲にも、言葉のバリエーションを効かせながらも「自分で考えて自分で決めろ」っていう精神が通っていて、この曲もまさにそれ。

 

自分の世界を自分で作っていく、守っていくには、身体的・経済的・精神的に健康でなければならない。身体的に健康でいるために規則正しい生活して自分の体質に合った食べ物や睡眠をとらなきゃいけないし、そういう生活をするためには経済的に余裕がないといけない。そして、経済的に余裕を持つためには無理のない働き方である程度持続的に稼ぎ続けなければいけないし、その基盤となるのは健康な精神だと思う。

 

身体的・経済的な健康のベースとなる健康な精神を保つためには、自分のことをよく知って自分で自分の心のお世話をし続けなければならない。そして、自分にとってその心のお世話に欠かせないもののひとつに、愛すべきフィクション作品たちがある。

 

今回のモボ朗読劇二十面相も、そんな愛すべきフィクション作品のひとつに追加された。(※13公演毎回つけ続けた備忘録を基に感想文作成中なのでこの記事は感想文ではない)

 

フィクション作品についてああでもないこうでもない、って考えたり、それを作った人の生きざまや性質を知ってそこからまた考えを深めたりする、正解のない世界を漂う時間って人生を豊かにする時間そのものだと思う。(↓という話を以前も書いた)

 

meromero887days.hatenablog.com

 

自分ひとりの人生で世のあらゆる事象を経験しつくして、どんな人の気持ちにも寄り添うことができるようになるなんて絶対無理だし、そうなるとフィクション作品を通してでしか他人の人生や気持ちなんて経験できないわけで。その作品を観た時にあーだこーだ考えることも大事だし、その後たまたま自分の身を持って同じような経験をして「あ、あの時主人公の気持ちをああいう風に予想していたけど、自分が経験してみたら全然違った。人の気持ちを分かったような気になるのは危険だな。」ってとこまで学ぶのも大事だと思う。フィクション作品って、後からそうやってジワジワ人生のスパイスになってくれたり、伏線回収かのように自分事に繋がってくれたりする。

 

そして、今回の侍ふで矢花くんが、

 

「僕はエンターテイメント的な"作品"に関しては"解釈違い"は起こすべきだと思っているんです。」

 

と書いてあったのを読んで、そう!そうなんだよ!!!と、ひとりスタンディングオベーションに陥ってしまって!!!!!!!!!!!!

 

説明的な作品が好まれるようになって解釈違いの余地がないものより、解釈の余地があるものが好きって話を書いてくれてるけど、まさに私もそうなんですよ。上で書いたように。

 

フィクション作品の魅力って、余白があるかどうかだと思ってる。その余白がなくてギッチギチな解釈=誰かに与えられた正解”らしきもの”を手軽に摂取して即物的な人生を送るより、その余白があるが故に、二次創作が盛り上がっていたり(例:鬼滅など)、その作品に触れた数千倍の時間を使ってあーでもないこーでもないと考えて何かを選択する時のヒントや生活のスパイスにする人生の方が断然魅力的で豊かだと思う。

 

自分にとっては、幸福王子に続き、二十面相もそういう「余白の多い」作品でとても大切な観劇経験になった。そしてそんな素敵な作品に、大好きな矢花くんが初めての外部仕事・主演仕事として携わってくれたこと、とても幸せ。自分超幸せ者。

 

冒頭で触れたUNISONのフィクションフリーククライシスは最後、

keep on keep on doubting. (疑って疑って疑い続けろ)

で終わるところも、超大好き。

既存の解釈や、大勢の人が信じていることも、ちゃんと自分の頭で考えて疑い続けて自分の答えを出すことって超大事だから。UNISONはこういうシンプルな短文にこそ”余白”がたっぷり設けられていてそういうところを自分は愛してやまない。

 

矢花くんを好きになって、矢花くんの芯のところにもそういうUNISONに似た”矢花イズム”を感じて好きが止まらない。特に侍ふ連載始まってから!ありがとう、ジャニーズ事務所。ありがとう、毎回読み応えたっぷりの矢花イズム強めの文章をあげてくれる矢花くん。

 

今回のブログを書くにあたって、UNISONのフィクションフリーククライシスを思い出したのは、まあ矢花くんがエンターテイメント的な”作品”(フィクション)の話をしてくれたから連想したっていうのが一番だけど、もう一つは矢花くんが「僕の長ったらしいブログをいつも見て下さる矢花フリークの皆さん」っていう短文を書いていたから。

 

フリークって言葉、超しっくりくる。

 

これからも矢花くんが作って見せてくれる作品たちの余白を愛していきたい、と改めて思った侍ふだった。矢花くん、今週も丁寧な交信ありがとう。カズマさんのTwitter見てジャニーズふたりだけスタンプされてて悲しかった(仕方ないけど)例の写真も載せてくれて、矢花くんのそういう気遣いと優しさに愛が止まりません!

 

 

 

 

 

 

 

最後に。

昨日のブログあげてから「矢花くんへの思いの丈や感じたことを書き留めるためのブログなのに自分の過去の恋愛黒歴史あげるのはなんかしっくりこないな」と思い、あげてから色々編集した。

せっかく「与えられるもの(侍ちゃんたちの動画やブログ)をインプットしてるだけじゃなくて、それを持って自分も何かアウトプットしたい!粗削りな文章でも、誰も見てなくても、自分のために毎日ブログ書きたい!」って意気込んで細々と続いているから、当初の目的(矢花くんへの思いの丈や感じたことを書き留めるためのブログすること)を忘れないようにしよ。

 

.